いけばなは、ちょうど映画や演劇のようなものです。すばらしいいけばなを生けるためには演出家であるあなたは素材の個性も質も知りつくさなければいけないわけです。一輪の花が百輪にもまさるという表現はその演出者の巧みな手腕によるものでもありますし、反面素材の選択にもあるといえます。少ない材料で美の極致を表現できるといっても、それは多くの中から選ばれた、本当はぜいたくな一花一葉である場合が多いのです。天もなく人もなく、また根〆もなく、色彩がどうの物理的にどうのと理論は皆無です。それでいて調和がとれている自由さは教えることのできない境地です。どのように説明したらよいのか、本当は私にも分かりません。人に人格というものがあるならば、花にも花格というものがなければいけないと思います。昔内弟子制度というものがあり、先生の裏側ともいうべきものを自主的に勉強したものです。つまり出来上がるまでの隠し味とでもいうものを見習う、盗みとるほどだったものであります。しかし、現在それを望むのはたいへんむつかしいことです。しかし昔のことわざにも「学ぶは真似ることなり」というものがあります。「心で生ける」「心で味わう」といういけばなの表現は並大抵ではありませんが、悟る境地にたって10回に1回でもそうした花がいけられるように努力してほしいものです。以上は先代の著書のなかの言葉です。とても堅苦しいと感じるかもしれませんが花を生けることを面白がってほしいということだと思います。